昭和 42年 4月23日 朝の御理解
よく申します。 事の、「始めきたの後をつくしよる。」と申します。色んなあ~約束ごとの、いたします。え~ はじめきたの、して 先をつくしゅう。いったらいいか。
確かに、え~そうだと思うですね。初めは難しゅうゆうとっても 後はみやすうと
昨日も、ある方が 借家を貸されるんです。それにまあ条件もなんもなしに、まあ、気やすう まあ、貸したが良いか、それともお~ちょっと一冊とっておいて え~ 先々今(?)いけれるように しとったらいいか。というような意味の事の、おうかがいがございます時に、少し、 「薬は効きすぎとる方がいい」というような事を 頂いたんですけれどもね。 焼き物なんかに、あの薬がこうかかってますね、焼き物なんかにこう 垂れるようにかかっておる。あれが、あ~、そのう、薬のかかりすぎてる程、まあ、いいんですね、 あの陶器は、ですから私、まあそういう風に、お取次ぎさせてもらった。それは、薬が効きすぎてる方がいいでしょう。ね けれども ここでわかってならなんことはですね、最後まで、最後まで薬が効きすぎたんじゃない。効きすぎたんだという事はどういう事かというと、おんなじ薬は、もうツボならツボ 全体にかかっておったらもう値打ちがない、ね
ゆうなら ひかっととがずーとこ、雫のように そのう沢山薬がついてるのはいいけれども、一番下までこう かかっておったんであったら、もう、陶器やら磁器やらわからんようになる。
だから、もう「はじめ きたの さきを つくしゅう」というけれど、はじめきたのを最後まできたのいくために、はじめからきたのを行く人がある。これでは、信心じゃないですね。ですから ほんとうゆうたら私は 信心させていただくなら 「初めから美しゅう。最後まで美しゅう」ということなかにゃいかんと思うですね。ね そこにゃ さまざまな条件とゆうものが、あっちゃならん。 ほんとに 限りなく美しゅうならせて頂こうという、願いをもたなければいけません。はじめ美しゅう はじめから「うつくしゅい」と同時に ね 最後まで美しゅう行こうと ね こちらが美しゅういこうとおもいよるけども、向こうの出かたが、悪いから、というようなことではいかん。(?)向こうが、きたのをでて、参りましても、それは こちらが、美しゅう受けていけれるということ
そこから、私はほんとの神様を動かす 働きといったようなものが、生まれて来ると思いますね。いわいる、「馬鹿とあほう」の道を開いてとおっしゃる。馬鹿とあほうに成り切る事なんです。途中までは、馬鹿になっとるけども、(?)にゃなられん。といったような事では、信心じゃないということ。ここん所皆さん、体験されるとほんとに有難いですね。 だからそういう人ですよね。ほんとにあの人は良い人だと、ほんとに仏さまんごたる人、という人はですね、初めから美しゅう、最後まで美しゅうです。かというてその、仏さまのような人とゆうのがですね。もう、人のいやみきゃごたるいわいきらんというようながです、ただ、言わんで済むというようなじゃあ、またおかげにならんです。ね
まあ、しょうわなかたい、むこうがきたならいいよるばってんか、まあまあ、こらえとこと、ちゅうごたるふうに、それを、ゆいきらんから、その黙っておるていったような事では、つまらん。 どこまでも、やはりそこを 信心でそれがなさなければいけない。
ねえ、だから よく申します。ねえ、賭け合います。例えば、お金を貸してから、引っ掛けられん。 ねっ そして、え~ まえん人から貸し取ったち思う。ほりけん もう、無理がいわんと、こう言うようなことを言う人がおるとでも、例えば、ほんとに そう思えたらいいのです。 ね (?)自分のそのうお~なんちゅうか、弱さがですね、それが言い切らんで、ただ、自分をそげな事に慰めておるというような事ではつまらん。
( ? )お世話になっとたじゃろうから、というようなことであった。(?)買っとったから、といったような事ではつまらん。どこまでも、私はお道の信心はそんなもんじゃあない。
初めから、美しゅう、そして、最後まで美しゅうというのは、そういう事じゃない。
ね、もっと、もっと、深い、頂き方があるとこう思う。 でなかったら、やはり、ぞくに申しますように、「はじめ、きたの 先美しゅう」いかにゃあいけません。 ね
ところが、(?)して 初めからきたのいっといてから、最後にきたのに行く人がおる。
ね、先美しゅうならん。 限りなく美しゅうならせて頂こうと言う事の中にはですね、そういう、内容を、だんだん、一つ、磨き上げた、(?)いけないと思う。
そこには、やはり、美しゅうなろう、美しゅうなろう、ということの中にはです、やはり、改まり そして、磨かしてもらおうと言う事が、なかなければ、美しゅうはなりません。 ね 美しゅうなってくるとです。もっ それがぜんぜん問題になくなってくるとです。(?)間。 お世話になっとるなっとる間、そんな事は問題じゃない ね 問題になくなってくる その様な事は、 私もあのお~ わたし自身が、借りた時代もございますけれども、人にお金を貸すといったような事がございます。ね もう~ほんとに、はじめから気持ちを、ほんとに同情なら 同情して貸したんですから、あたくしはそれを、もほんとに思うですね、催促しようと思わんです、あたくしはたまたま( ? )ですから、ね 初めから貰おうと思うとらんです。というて なら、持ってみえるなら、わたしは有難とと頂きます。 そういう時はなんか 新たに頂いたような気がしますだから
わたくしはまだ( ? )
第一、貰おうとおもうとらんもんですから、商売してる時、それはまた別です ね
いわいる、初めから美しゅういっとるから、最後まで美しゅういこうとこういう事なんです。
なら、それで、私が( ? )になるかというと、わたくしいよいよ、やはり、おかげを受けているように思う。 ね 信心させて頂いて、「美しゅうなろう」と言う事を焦点に、ね 美しゅうなろうということを、目指してから、お互い信心の稽古をさせてもらわなんですから、そこんところは、やはり稽古していかねばなりません。ね その前程として、「はじめきたのさきうつくしゅう」ほんとに美しゅういかんのだけれど、ね
も、最初から、汚ない気持ちで、汚のういく人がおる、そういう人は最後まで汚い。
それじゃ、信心をいただいている値打ちがない。
これは、私どもと、神様の間でも、これは、私どもとお~ 人の場合でも、おんなじです. 良く申しますでしょ. よか時ばかりの夫婦じゃないと。ね これはよか時だけの、友達じゃないという事もいえると思うんです。ね 同じ信者友達でもそうです。ねえ
よか時だけの、信者友達じゃ、つまらん。 おかげ頂いた、おかげ頂いた、と 何か楽しいつどいでもする時だけは、もほんとに、もう親戚以上、わたしとあんたはといったような事をゆうておるけれども いよいよ、今度は難儀な事になってくる 困った事になってくる と信者同士であろうが 友達同士であろうが それこそ義理も人情もないといったような人がある。 ね もな~んもとにかくもう信心友達ちゆうのは、こげんありがたごたなか、もう、その親戚より以上だと、いうなことをいうておる。よか時だけが、信者とおもうておる。 ねっ 一端 お互いがどちらかぶが悪いとか、難儀になってくると、全然、見向きもしない。 この頃、久しゅうあら参ってこんが、どうしござるかと、いうふうにもう思えれんし。 お互いさまざまな、時があります。 ね そういう時には、ほんとに どうしとるのかと、「最近、信心がちょっと間違えよらせんか」と、例えばお互いがです、そういう励ましあいの、出きれるような中なかにゃいかんでしょ。
ね 個人的な ひとつ難儀な問題でもです、ここは どういうふうにしておかげを頂いていったらよいかということをです、そこんところを話し合えたり、共励し合えたりしていけれるような中に、ひとつ育てていきたいと私は思うです。
ね 神様と(?)です。おかげ頂く時だけ、(?)ありがたい、ありがたい、神様、( ? ) ね そういう時こそです。わたしゃ、神様の設計していく信心が望ましいと思う。 ね そして、あたくしはいよいよ助けようていく。
よか時ばかりの、夫婦じゃないというように、ほんとに苦楽を共にして、初めてほんとの、良い夫婦だと、わたしは思う、言えると思う。友人関係であって、ね は、会い、対人間の場合でもです。 ね そういう時にお互いが、親身が出せれるような間柄になっていきたい。
もう、これは、あたくしの、知った人。 その教会の総代仲間である。もう それこそあたしどんが見ても とっても、親密だとこういう事だと、その人が 片一歩の人が大変困った、お金を、借りにいった。 ところが それこそもうほんとに、すり切るように 断った。 それっきりその人は信心を止めた。ね ほんとに神様任せだから、ね とにかくそれはまあ私もできる事だけはしょうけれど、とにかく、一辺 親先生に お伺いしてごらんなさいと 親先生が、借ってもいい、貸してもいいとおっしゃるなら 私も、お~心配しょうというような事ならば、まだいいけれど ね 言うきるなら (?) できないというようにですね もうそれこそあんまり冷たくつんけれように 言われたからですね それっきし 信心を止められた。 ね 普通の時には それこそゆうならば飲んだり食うたりどんする時には、もうそれこそ親戚以上ごと、手握りおうちからそのおう(?) ところが 一端その人がなら 落ちぶれていくようになって困ったことになったら もう、とてもとても ( ? ) そんな話を聞かせて頂いてです、ね ほんとに よか時だけのあれじゃない、よか時だけの友達じゃあない、よか時だけの夫婦じゃない、
ね、ほんとの良い夫婦、ほんとの良い友達というのは よか時でも悪い時でもいやわるうなら 悪うなったほどそこに親身に 尽くしおうていけれる 私は友達 特に信心友達でありたいと 私は思うですね。 人間ですから、やっぱさまざまな事に 直面して信心をが 緩まったり 信心があ~いきずまったりするような場合にです ほんとに励ましあえれる仲でありたいと思うですね。
ね そういうような(ことでも今日)わたしが一番初めに申しますように ね 「はじめ きたの さき美しゅう」とこういうような そのう 生き方もありますけれどです ね その内容が はじめきたのするのも 最後まできたのの為に そういうようなあ~人があるというようでは おかげにならん。信心はどこまでも はじめから美しゅう、最後まで美しゅう、と というような内容の信心を頂いておるとです。ね よか時も、わるか時もない ほんとにそれこそ、親戚以上のう~ まっ友人が友人としてです、お付き合いならお付き合いとしてです おかげ頂けて そういう不陰気をですね あたくしは 神様はお喜び下さると思うです。 ね そういう人をあたくしはあの人は神様のような人じゃと ゆうことになるんじゃなかろかとこう思うん。ね 仏様のような人じゃというのは はじめから美しゅう 最後まで美しゅういく人だと私は思うですね。
どうぞ。